広島と海外移住
 ハワイへの官約移民が始まった1880年代、明治政府の進める急速な近代化と富国強兵政策の中、広島でも人口増加や米価の下落などにより、失業者や自分の土地を失って小作農となる人が増えました。
 しかし、当時の広島はまだ経済規模が小さく、十分な雇用力がありませんでした。そのため、大勢の人が阪神地方や九州地方へ出稼ぎに行きました。安芸郡、佐伯郡といった沿岸部の半農半漁の地域では、対馬や北海道などへ行く人もいました。
 そのうえ、この時期に干害や暴風雨による農作物への被害が続いたこと、1884年(明治17年)から始まった宇品築港工事により、広島湾の漁場が少なくなったことなどから、よりよい収入を求めてハワイへ移住する人が増えていきました。
 ハワイへの第1回移民船シティ・オブ・トーキョー号が横浜港から出帆した1885年(明治18年)から10年のうちに、11,122人(総人数の38.2%)の広島県人がハワイへ渡り、全国第1位の移民送出県となりました。

 
町村別累計移民数(1885年[明治18年]-1894年[明治27年])
郡名 地域 累計移民数25人以上の町村
251人 250~201 200~151 150~101 100~51 50~25
安芸 沿岸部 仁保島(997) 海田市(226)
府中(208)
牛田(177)
船越(160)
戸坂(149)
中野(113)
奥海田(113)
温品(93)
和庄(78)
矢賀(67)
中山(63)
坂(51)
 
島嶼部            
山間部           畑賀(28)
佐伯 沿岸部 地御前(297)
五海市(288)
廿日市(237)
観音(223)
古田(219)
八幡(201)
草津(198)
己斐(191)
大野(184)
平良(177)
宮内(170)
大竹(158)
石内(149) 玖波(96)
原(90)
小方(78)
井口(75)
木野(65)
河内(47)
油見(30)
島嶼部           沖(29)
中(25)
山間部           砂谷(29)
沼田
高宮
太田川
中下流域
  三川(236)
亀山(206)
三篠(193)
川内(174)
安(164)
伴(149)
口田(142)
中原(141)
長束(111)
祗園(94)
山本(84)
西原(76)
深川(74)
三入(60)
可部(60)
緑井(49)
久地(49)
八木(37)
狩小川(37)
東原(31)
山間部         福木(88) 日浦(41)
豊田           沼田東(51) 大長(46)
須波(40)
沼田西(39)
大乗(38)
南方(33)
本郷(29)
賀茂           西志和(58) 下野(35)
中黒瀬(27)
御調           向島西(51) 吉和(45)
高田             根野(37)
                  『広島県史近代1』(広島県 1980)による